中区の夜間中学できょう卒業式

《「学びたい」気持ち受け止め35年》

 さまざまな事情で中学校を卒業できなかった人たちが通う愛知県の中学夜間学級(名古屋市中区新栄)。県内には夜間中学がないため「中学を卒業したい」という人たちの唯一の受け皿となっている。14日夕、5人(男性1人、女性4人)が晴れて卒業する。(英)

【写真説明】(左)皆勤賞を受けてきょう夜間中学を修了した中田ミヨ子さん。学校で学んだことはすべて自分の宝となった。(右)夜間中学の授業風景。老いも若きも、学びたいという思い一つでここに集まってくる(名古屋市中区新栄の愛知県教育会館)


■67歳の卒業生〜練習プリントは一生の宝

 「寂しいですね。もっと勉強したかった」。卒業生の1人、名古屋市の中田ミヨ子さん(67)はしんみりと語った。

 中田さんは長崎県出身。戦後、父親が家出。残された母親と中田さんら幼いきょうだい6人の生活は困窮した。長女の中田さんは8歳から子守りなどの仕事を始め、学校に行けなかった。子守り先の教員夫婦に教えてもらい、何とか平仮名は覚えた。

 15歳の時に名古屋に来て鉄工所務め。以来職業を転々としながら家計を支えた。漢字が読めず悔しい思いをしてきた。「ラブレターをもらっても読めないから友達に読んでもらった。人間は学歴だけじゃないっていうけど、字が読めない者は…」。同世代のセーラー服を着た娘を見ると腹が立った。子どもは親次第―と悲しかった。

 それでも結婚して息子が生まれ、幸せな家庭を築いた。「5年前に亡くなりましたが学校の同窓会がないわたしを気遣って同窓会の誘いがあっても行かないやさしい夫でした」。中学夜間学級に入学したきっかけは自衛官の息子の勧め。「母さん、字を覚えたら手紙が書けるし、新聞が読めて幸せだよ」

 「今更この年で勉強しても」と気が進まないまま入学。昼間働きながら、午後6時から8時半までの授業に通った。最初はつらかった。「ほかの生徒は若くて、小学校は卒業しているので授業についていけなかった。カンニングがいけないということも知らなかった。何度もやめようと思った」。2年生になって国語の先生が中田さんのために漢字の練習プリントを作ってくれた。漢字を点線で書いたもので、中田さんはそれをなぞって覚えた。「上手に書けたね」と褒められると涙が出た。

 数学、英語はずっと苦手だったが、漢字が書けるようになって学級に通うのが楽しくなった。特に体育と音楽は大好きだった。「先生が作ってくれた漢字の練習プリントは一生の宝物。これからは日記を書いて漢字を覚えたい」。14日の卒業式では皆勤賞を受ける。


 愛知県の中学夜間学級は1969年に最後の夜間中学が閉校したのを受けて73年に県教育・スポーツ振興財団が開学。当時は名古屋市中村区にあった財団ビル内で授業。近くに笹島中学があったため、生徒は同中学の在籍に。87年からは中区新栄に移転した財団ビルで授業を行っているが、生徒の在籍は今も同中学。 授業は同中の教員が担当。月曜、水曜、金曜の週3回開校。体育、音楽は笹島中で行う。学費は無料で、教科書は名古屋市内の中学と同じものを使用。2年間で中学3年分を履修する。


 入学資格は県内在住で中学を卒業できなかった15歳以上、国籍不問。毎年10人前後が入学している。最近は外国人労働者の子弟で、小学校の途中で日本を離れ、再来日した人が目立つ。中田さんのような戦後混乱期に中学に通えなかったために入学する人は減少傾向にあるという。


2008年3月14日更新)名古屋タイムズ社

http://www.meitai.net/archives/20080314/2008031408.html