7.26「江東区に夜間中学をつくる集い」 江東区に夜間中学をつくる会からの発言
歴史的に見て、(1)江東区は江戸時代以来の下町として発展してきましたが、関東大震災と東京大空襲を受け壊滅的被害を受けました。戦後の混乱期の中で、あるいは様々な理由によって義務教育未修了者は存在しています。そして、戦前、朝鮮人が最も多く住んでいたのも江東区であり、中国残留邦人世帯も1982年には都内最多でした。こうした方々の中にも、義務教育未修了者がいます。
似たような成り立ちの下町に都内8校のうち五つの区に公立夜間中学が存在します。江東区にないのが不思議なくらいです。
2006年、中村まさ子議員の質問に対して、江東区は2000年の国勢調査によると211人の未就学者がいると答えています。そして、これを裏打ちするように、東京都夜間中学校研究会の調査によると、1973年から2006年までに江東区から他の夜間中学に通った生徒数が974人となっています。ですから、現在では千人を超えています。
江東区に夜間中学・日本語学級をつくる会が1981年に作られました。当時、全国で公立夜間中学の増設を求める運動が始まり、公立夜間中学が次々と作られていきました。1981年、奈良県天理市(32番目)、1982年4月、千葉県市川市大洲中学校(33番目)、同年5月、神奈川県川崎市中原中学校(34番目)、その後、1991年、奈良県橿原市畝傍中学校(35番目)、関東でも、千葉県松戸、埼玉県川口で、江東と同じ時期に公立夜間中学をつくる会が発足し、自主夜間中学が開始され現在に至っています。
つくる会は自主夜間中学を行いながら、江東区に公立夜間中学を求めて、署名や請願、区長・教育長との懇談を行ってきました。江東区の考え方は、「夜間中学は広域的対応できるもの」であり、他区の夜間中学に通っているので良いではないか・・・また、社会教育で対応すべきとしていた。2006年11月、「日弁連の意見書についてどう考えるか」という中村議員の質問に対して、区は「意見書は国に対して出されたもので、国の動向を見守っていきたい」と答えている。
2006年8月10日、日弁連が「学齢期に修学できなかった人々の教育を受ける権利の保障に関する意見書」を発表。同年11月、江東区議会で中村まさ子議員が意見書についての区の見解などを質問。2007年3月、東京弁護士会人権擁護委員会が江東自主夜中を見学、生徒や中村議員と懇談。2008年4月、東京弁護士会人権擁護委員会が江東区に夜間中学をつくる会の松下知代表を弁護士会館に呼び意見を求めた。その後、江東自主夜中を訪れ生徒への聞き取り調査を行った。近々調査結果が発表されるだろう。東京弁護士会などが主催し、2007年8月、2008年12月に「こんばんは」の上映とシンポジウムが開かれ、2007年にはつくる会からと江東から公立夜中に通っている生徒さんが発言した。昨年12月、全国夜間中学研究会でつくる会がシンポジウムで発言した。
2007年4月の区議会選挙後、区議会議員全員に「江東区に公立夜間中学設置について」のアンケート調査を行った。44議員のうち20人が設置に賛成または考えてよいとの回答があった。同年12月、当時の区議会文教正副委員長に会い、資料などをもとに「設置」に付いての検討をお願いした。「東京弁護士会の調査結果については関心がある。夜間中学問題について勉強し、考えてみたい」などと好意的な発言があった。
かつては朝鮮・韓国のオモニたちや中国残留邦人と日本人が生徒さんであった。残念ながらオモニ達が高齢で次々に亡くなってしまい現在来ていない。2000年に入ってから、ニューカマー達がやってくるようになり、インドネシア、バングラデシュ、ガーナ、インド、フィリピン、ベトナム、韓国などいろいろな国の人がやってきた。
そして、この波が少し収まり、ビルマから政治難民としてやってきた少数民族のカチンの人たちとの3年間にわたる出会い。全く知らなかった言葉と文字そして文化。とても大切な交流が出来ましたが、みなさん夜の仕事の関係で来られなくなりました。
現在は、中国残留邦人の2・3世、中国人研修生、中国からのコンピュータ・プログラマーなどの技術者やその家族、日本人の形式卒業生や「障害」を持った人たちだ。生徒数十人前後、スタッフ5〜6人で行っている。「スタッフが足りない、生徒が来なくなった、教材を何にしたらよいか」など、自主夜中の限界を抱えながら何とか頑張っています。
素晴らしい出会い、今年になってやってきたSさん二十歳、小学校の頃障害を発症し、いじめなど様々なことがあり、あまり中学校に行かなかった。それでも中学卒業後、勉強がしたいと言うことで文花夜間中学を訪れたが「卒業」の壁で入学できなかった。江東自主夜中を知り通い始めた。さらに、昼間は週二回、見城さん達がやっている墨田区の「えんぴつの会」に通っている。中国残留邦人の2・3世の家族6人が6月にやってきた。そこには、小学3年と6年の子供達もいた。スタッフが足りないので、Sさんに先生役を頼んだ。そうするとSさんは図書館で中国語の本を借りてきて一生懸命勉強しながら中国から来た子供達に日本語を教えている。
別の話になるが、不景気を真っ先に受けて解雇などで職を失う生徒さんが増えている。中国人研修生は最初の一年は十万円そこそこの給料で労働者扱いされず、二年目になって給料の遅配そして内装工事屋さんが倒産となって別の会社を斡旋されている。また、鉄工所に勤めていたSさんは7月に解雇された。教育の場の保障と職場の確保が一体となる深刻な問題が起きている。
最後になりますが、「文字は命だ、学校は宝だ」とかつてオモニ達が言っていましたが、「言葉や文字」が命綱であることを中国残留孤児の問題を映画で取り上げた「嗚呼、満蒙開拓団」と「花の命」で改めて知りました。みんなの力で、江東区にも公立夜間中学を作りましょう。
2009年7月26日
江東区に夜間中学をつくる会代表 松下 知(さとる)