<やちぼうず>
「壁」にもなる文字
2009.04.18 北海道新聞朝刊地方


 「もっと分かりやすく書けないかしら」。十年ほど前、函館で、視覚障害者のために新聞などを朗読するボランティアグループを取材した際に、こう指摘された。音読しても理解しづらい記事は、目読でも理解しづらい。

 以来、書き上げた記事は、心の中で音読するよう心がけているが、最近、もう一つ悩ましい出来事があった。

 五月に開校する釧路自主夜間中学「くるかい」の準備会でのこと。広報誌に載せる募集記事をめぐり、「学習希望者の中には、読み書きが十分にできない人もいる。読みがなをつけられないか」との意見が出た。準備会の開いたブログ(日記風ホームページ)でも、同じ課題に直面した。

 文字にして読んでもらえれば、伝わる−。そんな思いこみがあった。ところが、肝心の文字が「壁」となって、その情報を最も必要とする人に届かない。

 麻生太郎首相に対する誤読批判は、一国を預かる立場ゆえ、仕方あるまい。ただ、そこに「さげすみ」の念が入り交じってはいなかったか。気になった。

 十分に学べなかった事情は、さまざまだ。望んだわけでなく、なのに長年、劣等感をかかえてきた人もいる。誤読報道を、どんな思いで見ていたか。胸が痛んだ。(島田季一)

北海道新聞社