平成19年(行コ)第17号公金支出差止等請求事件
控訴人 泉雅人他81名
被控訴人 北海道教育委員会他2名
2007(平成19)年10月15日
上記控訴人ら代理人
弁護士 浅野 元広
同 秀島ゆかり
同 木下尊氏
同 佐藤昭彦
同 万字香苗
札幌高等裁判所第3民事部御中
控訴理由書
目次
第1、はじめに 4頁
第2処分無効・取消の訴えの被告適格及び被告変更について(争点4,5) 4頁
1、被告適格について
2、被告変更について
第3裁量権の逸脱濫用について(争点13) 7頁
1、原判決の認定事実と認定の脱落ないし事実誤認(原判決51頁〜)
(1)判決の認定事実とは何か。
(2)原判決の認定事実
(3)報告書と基本計画
(4)原判決が「争いのない事実」とした有朋高校の役割
(7)裁量権の逸脱濫用の判断の不存在
2,「本件基本計画の策定及び本件移転の裁量性について」(原判決62頁〜)について 16頁
3、「本件基本計画の策定及ぴ本件移転の目的にっいて」(原判決62頁〜)について 19頁
4、「本件基本計画及び本件移転の内容にっいて」(原判決63頁〜)について 21頁
(1)原判決が交通の利便性等の個別的間題に矮小して評価判断したことの誤りについて
(2)時問的な問題、費用的な問題が、生徒らにどのような影響を及ぼすかに関する原判決の認定には重大な事実誤認があること
(3)原判決の移転先敷地の形状に関する判断の誤りについて
(4)「ハ現在地でも公共交通を利用する生徒がいること、公共交通の利用が困難な生徒については個別に対応すべき問題」と判断した原判決の重大な事実誤認・評価の誤り
5、「本件基本計画の策定及び本件移転の手続的違法性」(原判決67頁)について 28頁
(1)「憲法31条違反の主張について」
(2)地教行法違反について判断の脱漏、理由不備
(3)関係者の理解を得るための措置について
第4「原告らの主張のその余の争点について」(原判決68頁)について 36頁
(1)子どもの権利条約12条、28条、29条の直接適用について
(2)意見表明権について
第1、はじめに
原判決は、本件の争点を、本案前の争点として7点(争点1〜8)、本案の争点として6点(争点9〜14)に整理した。
そして、本案前の争点については、監査請求前置の有無(争点1)、相馬秋夫に対する損害賠償請求義務付訴訟の被告北海道知事(以下、知事という)から被告北海道教育委員会教育長(以下、教育長という)への変更(争点8)についてだけ原告らの主張を認め、その余の争点2〜7については原告らの主張を全て斥けた(正確には、争点6は判断の対象になっていない)。
また、本案の争点9〜14については、原告らの主張を全て斥けた。
控訴人らは、原告らの主張が斥けられた各争点中、本案前の争点2〜7については、処分の無効・取り消しの被告適格が北海道教育委員会(以下、道教委という)にあること、導教委から教育長への被告変更の申し立てが適法であること、基本計画は処分性があることを主張し(争点4,5,6。原告らの主張が斥けられた他の本案前の争点2,3,7にっいては、これ以上争わない)、本案の争点については、全て争うものである。
本控訴理由書では、原判決の構成、順序に従いながら、各争点に対する原判決の判断について、逐一、反論することとする。
第2 処分無効・取消の訴えの被告適格及び被告変更について(争点4,5。原判決43頁〜)
1、被告適格について
原判決は、請求の趣旨第2項の被告適格にっいて,無効確認又は取消しを求める訴訟については,無効確認又は取消しの対象となる処分をした行政庁が被告適格を有するから,無効確認又は取消しの対象となる行為について権限の委任がある場合には,受任者が被告適格を有し,委任者は被告適格を有しない,としたうえで,有朋高校の移転が,設置者の変更を伴わずにその所在地を変更するものであるから,地教行法23条及び委任規則2条を根拠として,受任者である教育長のみが被告適格を有している,と判示している(原判決43頁)。
しかしながら,原判決の上記判断は,有朋高校の「季実の里」への移転の実態・本質から目を背けた極めて形式的な論理といわざるを得ない。原審でも主張したとおり,本件移転の本質は,札幌市中央区の有朋高校の校舎を解体滅失したうえで,現在地と遠く離れた「季実の里」に新たな校舎を新築するということであるから,物理的に,校舎としての連続性・同一性が欠如していることは一見して明らかである。また,有朋高校の果たすべき役割である「多様な学習要望をもつ者や勤労青少年等に対する高等学校としての機能」「地域に開かれた高等学校としての機能」(甲7)が,有朋高校が季実の里に移転すること!こより変質,喪失することは自明の理であり,本件移転の実質が,有朋高校の「廃止」と有朋高校という名称を付した新たな高校の「新設」であることは明らかというべきである。
そもそも,地教行法26条を受けた委任規則2条4号において,「教育機関の設置,廃止及び移管」を教育長への権限の委任の除外事項としたのは,重要な教育行政上の決定については行政から独立した道教委の判断に委ねることに本来の目的があるのであり,実際にも,多くの市町村では、校舎の移転が教育長への委任事項から外されていることはまさにその証左といえる。また,委任規則5条が,教育長は,委任を受けた事務に関し,重要又は異例の事態が生じたときは,教育委員会の指示を仰がなければならない,と規定されていることに鑑みても,教育機関の設置及び廃止と同視される重要な問題である有朋高校の移転については,道教委が自ら主体的に判断し,あるいは,少なくとも、教育長への指示を要する事項というべきである。そうした意味において,単に設置者の変更が伴わないという形式的理由のみで安易に道教委長への無限定・無制約の委任を許容した原判決には重大な誤りがあるといわざるを得ない。
2、被告変更について
さらに,原判決は,請求の趣旨第2項について,控訴人らがなした道教から教育長への被告変更の申立について,教育長を被告とすべきことは容易に判明し得たものであり,控訴人ら及び控訴人ら代理人が要求される注意を著しく欠いたものといわざるを得ず,被告とすべき者を誤ったことについては重過失があったと認めるのが相当である,と判示している(原判決46頁)
しかしながら,本件基本計画(甲8)は,その体裁,すなわち,表紙の表示に照らしても作成名義が道教委であることは一見して明自である。行政内部においていかなる事項について誰に権限が委任されているかは,国民とは縁遠い行政関連法規を熟知したうえで判断することが必要となることから,国民にとっては,基本計画に表示された者が真の作成者であると信頼することについて十分な合理性が認められるところであり,かかる信頼は法的にも保護されるべきである。確かに,原判決が指摘するとおり,「考える会」と教育長とのやりとりや監査請求において,本件基本計画にかかる権限が道教委から教育長へ委任されたことを示唆する場面もあった。しかしながら,控訴人らは,本件移転計画についての権限委任の可否を監査請求の時点から明確に争点として取り上げていたにもかかわらず(甲1),原判決も指摘するとおり(争点1),監査委員が,適法な本件各監査請求を誤って不受理としたために,教育長への委任の可否についても監査請求手続の中で全く審理が行われなかった(仮に,監査請求が適法に受理されていれば,その審理の中で教育長への委任について議論する機会が当然にあったはずである。)。かかる行政側の不手際をも勘案すれば,控訴人らに不利益を転嫁して,教育長を被告とすべきことについて故意又は重大な過失があったとは到底認められないというべきである。
第3裁量権の逸脱濫用について(争点13)
1、原判決の認定事実と認定の脱落ないし事実誤認(原判決51頁〜)
(1)判決の認定事実とは何か。
判決の認定事実は、裁量権の逸脱濫用があるかどうかを判断する対象となる事実である。本件は、有朋高校の移転の当否を問う裁判であるから、これを判断するためには、何よりもまず、有朋高校とはどのような機能を有する高校であって、どのような役割を果たしている高校であるのかという認定をふまえて、そのような高校が石狩市との境を接する季実の里団地へ移転することの当否が検討されなければならない。
ところが、原判決は、本件訴訟の中心問題であるはずの「有朋高校とは何か」という点に関する事実認定が無きに等しいのである。原判決は、一体、如何なる事実を対象として、裁量権の逸脱濫用の有無を判断したのか。
(2)原判決の認定事実
原判決の争点13に対する判断の部分での認定事実には、驚くべきことに、有朋高校の役割、機能等に関する認定事実が全く出てこない。移転決定に至る経緯、交通アクセスの間題などが、坦々と羅列されているだけである。
原判決が、有朋高校の役割等に言及しているのは、争いのない事実中の「(2)有朋高校」とある部分(原判決6頁)だけであり、その内容も、基本計画(乙ロ第2号証)を引用して、「勤労青少年に対する後期中等教育機関としての役割に加え、多様な学習ニーズに対応する生涯学習機関としての役割を果たすなど、他の高等学校にはない独自の教育活動を展開するようになった」とあるだけである。
「争いのない事実」欄の摘示事実に、原告らが取消しを求めている基本計画を引用することは大きな間題であるが(引用する書証は、甲7の定時制・通信制検討委員会報告書であるべきである)、それはさておいても「多様な学習・ニーズに対応する生涯学習機関としての役割」とは、一体、何であろうか。これは、次に述べるとおり、基本計画(乙ロ第2号証)の引用としても誤りであって、このような不正確な判示をするところに、原判決の有朋高校の役割、機能というものに対する無理解、無関心が余すところなく示されているのである。
(3)報告書と基本計画
定時制・通信制教育推進検討委員会報告書(甲7、以下、報告書という)は、有朋高校に必要な基本的機能として「多様な学習要望をもつ者や勤労青少年等に対する高等学校としての機能」と「地域に開かれた高等学校としての機能」(多様化する学習ニーズに対応した生涯学習機関としての機能はここで言及されている)の二つをあげている。
「多様な学習要望をもつ者や勤労青少年等に対する高等学校としての機能」とは自分のペースにあわせてじっくり学びたい生徒、自分の趣味・関心に重点をおいて学びたい生徒、全日制課程では就学困難な勤労青少年、再入学・転入学者等に対して高等学校教育の機会を提供することであり、「地域に開かれた高等学校としての機能」とは多様化する学習ニーズに対応して高等学校教育の内容を社会人に提供することと生涯学習の機会を提供するため教育施設等を地域住民に開放することである。
基本計画(乙ロ2)は、有朋高校の基本的機能を、「多様な履修形態を提供する後期中等教育機関としての機能」「勤労青少年のための後期中等教育機関としての機能」「生涯学習機関としての機能」の3つに区分している。
「多様な履修形態を提供する後期中等教育機関としての機能」とは、「勤務時間が複雑な交代制の者」「自らの興味・関心に重点を置き、画一的な教育課程でなく自ら選んだ教科・科目を中心に授業を受ける者」等の生徒に対応して多様な履修形態を提供する単位制定時制の機能であり、「勤労青少年のための後期中等教育機関としての機能」とは、「経済的理由のために全日制課程では就学することが困難な勤労青少年」に対応する定時制・通信制の機能であり、「生涯学習機関としての機能」とは、「生涯学習を求める社会人」に対応した「生涯学習を支援する地域に開かれた高等学校としての機能」である。
(なお、この内、有朋高校の機能を的確に言い表しているのは、報告書(甲7)の「多様な学習要望をもつ者や勤労青少年等に対する高等学校としての機能」である。基本計画(乙ロ2)は、一応、報告書(甲7)を下敷きにしたものであろうから(乙ロ13)、文言的には、一見、報告書(甲7)に似ているようにみえるが、「多様な履修形態を求める者」=単位制による定時制、「勤労青少年」=定時制、通信制という図式的な分け方は、有朋高校で学ぶ生徒の姿を反映したものではなく妥当ではない。通信制は、職労青少年」に対するものだけではなく、「多様な履修形態を求める者」に対するものでもあるし、また、「多様な履修形態を求める者」と「勤労青少年」とが明確に区分されるというものでもないからである。基本計画(乙ロ2)のように、「多様な履修形態を提供する後期中等教育機関としての機能」と「勤労青少年のための後期中等教育機関としての機能」とを強いて区分するのではなく、報告書(甲7)のように、有朋高校は、単位制による定時制及び通信制の双方が相まって、『多様な学習要望をもつ者や勤労青少年等」の学習の機会を保障し、「いつでも、どこでも、だれでもが学べる」教育の機会を提供する機能を有していると見るのが、実態にかなっている。
また、基本計画(乙ロ2)の「多様な履修形態を提供する後期中等教育機関としての機能」と報告書(甲7)の「多様な学習要望をもつ者や勤労青少年等に対する高等学校としての機能」の叙述を比較しても、後者がはるかに有朋高校の特徴を的確に言い表している。)
(4)原判決が「争いのない事実」とした有朋高校の役割
原判決が摘示したのは、「勤労青少年に対する後期中等教育機関としての役割」と「多様な学習ニーズに対応する生涯学習機関としての役割」の二つである。
ここでは基本計画(乙ロ2)の「多様な履修形態を提供する後期中等教育機関としての機能」が脱落している。この機能が、単位制による定時制という有朋高校の特色を示しているにも拘らずである。仮に、原判決の「多様な学習二一ズに対応する」という表現に、基本計画の「多様な履修形態を提供する」という部分が盛り込まれていると強いて考えたとしても(それ自体、難しいが)、そうだとすると基本計画の「後期中等教育機関としての機能」と「生涯学習機関としての機能」とが、一つになってしまっていることになる。
また、報告書(甲7)では、「地域に開かれた高等学校としての機能」の中で、多様化する学習ニーズに対応して高等学校教育の内容を社会人に提供すると論述されているのであるから、原判決は、報告書(甲7)がいう「多様な学習二一ズに対応する生涯学習機関としての役割」のみを取り上げ、「多様な学習要望をもつ者に対する高等学校としての機能」を脱落させていることになる。しかも、「多様な学習ニーズに対応する生涯学習機関としての役割」を基本計画からの引用とし、争いのない事実としているのである。
有朋高校の有する機能は、まさに多様な履修形態を提供する後期中等教育機関として、多様な学習要望をもつ者に対応できる高等学校という点にあるのであるが、原判決は、事実整理中の「争いのない事実」という箇所で、かかる重要な点を脱落させているか、漫然と「生涯学習機関としての機能」と同一視してしまっているのである。
また、事実整理中の原告の主張欄(原判決22頁)でも、もっぱら通学時間の増大等を摘示しているだけで、有朋高校の機能、役割という点には、全く触れていない。
原判決は、以上のとおり、有朋高校の機能、役割に関する認識、関心がなく、そのためかかる杜撰な事実摘示を行っているのであるが、これは、重大な事実誤認というべきであって、原判決は、この点で既に破棄を免れないのである。
原告らは、準備書面(6)において、「(有朋高校の生徒は)学校生活と他の生活条件とを両立させるべく時間をやりくりしていること」「不登校によって有朋高校に転校した生徒や、病気や障害を抱えている生徒は、単に時間的な間題にとどまらない通学上の困難を抱えていること」を指摘し、「有朋高校の設置場所は、普通高校に比較して、特段の利便性が求められる」ことを主張した(準備書面(6) 7頁)。そして、「生徒の通学の困難さをもたらすというのは、単に生徒の通学が不便になるということを述ベているものではない。有朋高校は、今の場所にあるからこそ、「多様な学習要望をもつ者や勤労青少年等に対する高等学校としての機能」「地域に開かれた高等学校としての機能」を担える」、「有朋高校は、経済的、身体的、精神的、家庭的その他様々なハンディを抱えている生徒に学習の機会を与え、高卒の資格を付与する、いつでも、どこでも、誰でもが通える高校であり、近年、その価値が。ますます高まっている。移転は、有朋高校からこの機能を失わせるものであり、これが本移転の最大の間題である。」(準備書面(6) 13頁)と主張したのである。
原判決は、かかる主張に対して、全く、答えていないばかりか、事実整理をみると、この点が本訴訟の重要な間題であるということすら全く理解していなかったといわざるを得ない。
原審において、12名の原告ら本人が、上記の間題を、意見陳述という形で、様々な角度から訴えた。
原告泉雅人(第1回口頭弁論期日)は、有朋高校の季実の里団地への移転は「未来の生徒の学ぶ権利(学習権)を、現在の大人が自分たちの都合で(経済的エゴ)を優先して、侵害(侵奪)しようとしていることなのです」と訴えた(第1回口頭弁論期日)。
原告Mは、小・中学校でのいじめ、不登校の辛い体験を経て、バレエと両立できる有朋高校に入学して充実した3年間を過ごせた、有朋高校が季実の里団地にあったなら、有朋高校に入学できなかったと思う、「有朋には、私と同じように、いじめを受けた人や、家庭の事情がある人など、みんな勉強したい人や学校に行きたい人が通っています。季実の里に有朋が移転したならぱ、働いている人は時間が会わなく通えなくなるし、家が近い人はいいけれど、遠いと通うことが困難になるため、高校に行けなくなってしまいます」と、自らの体験を通して語った(第1回口頭弁論期日)。
また、当時、札幌市議会議員であった原告小林郁子(現北海道議会議員)は、有朋高校移転の間題点として、第1に、移転決定に学校当事者や市民の意見が取り入れられていないこと、第2に、現在地での改築費用に照らし移転費用がはるかに高く、最小の経費で最大の効果を上げるという税金の使い方として妥当でないこと、第3に、移転することが住民の福祉の向上につながらず、「移転することによって、そのような人々(働きながら学ぶ人など様々な困難を抱えている人)が通えなくなるとすれば、何のための行政か、移転によって誰が幸せになるのか、その効果はどの程度あると考えているのか」これらについて道教委からの説明がなされていないこと、第4に、道議会で十分な説明がなされていないことの4点を指摘した(第1回口頭弁論期日)。
「札幌遠友塾白主夜間中学」の校長である原告工藤慶一は、夜間中学への通学という観点からは、「地下鉄バスが集中し、通学経路がバリアフリーであることが必須」であり、「市民会館の会場が確保できず、「かでる2・7」に教室を移すと1割の方が休む」という夜間中学の経験を述べ、「もう二度と、戦争という国の都合や、不良債権の処理や財政再建という自治体の都合で、学びたい人たちから学ぶ権利を奪ってほしくはないのです。それも通学・できない遠い所に学校を建てるという形で。教育上の差別は二度と御免です。」と強く訴えた(第2回口頭弁論期日)。
66歳にして札幌遠友塾自主夜間中学に入学し、卒業後、有朋高校通信制に進学した原告橋場忠子(札幌市中央区在住)は、有朋高校で学んだ喜びを語り、有朋高校が季実の里団地にあれば片道1時間20分位もかかり通えなかったこと、「体の弱い生徒たち」「安定剤等の薬を飲みながらようやく通学していた同級生」「抗がん剤治療を受けながら通学していた生徒」らは季実の里団地まで通えないことなどを語り、また、「何度も話しをしたのですが、(道教委の)職員の人たちは、有朋高校が果たしている役割を理解しようとしてくれません。体の弱い、或いは、様々な問題を抱えている生徒のことを全く考えない態度をみて、涙を流しながら帰ってきたことを思い出します」と切々と訴えた(第2回口頭弁論期日)。
二人の娘が有朋高校単位制を卒業し、もう一人の息子も有朋高校通信制に通っている原告Tは、その子供達の経験から有朋高校のまさに多様な学習要望に応える利点を語り、アルバイト、パート、正社員として働きながら学ぶ生徒の職場は札幌市全域に広がっていること、夜間で学ぶ生徒のことを考えると、現地改築すべきであることなどを主張した(第3回口頭弁論期日)。
札幌市議会議員である原告坂ひろみは、「学ぶ権利の保障と有朋高校の立地場所への配慮の重要性」を語り、その中で札幌静療院のT先生が「不登校や引きこもり状態にある子供たちや青年たちに必要なものは「社会の中の多様な居場所」や「多様な学びの場」」であるが、「心のエネルギーの回復途上にある彼らには、通学のための多大な労力や時間を最小限に押さえる杜会的配慮がぜひとも必要である」と述べていることを紹介している。また、移転決定に至る課程で、生徒、保護者、教職員等の意見が反映されていないことの問題点を指摘した(第4回口頭弁論期日)。
原告神島絹子は、貧しい農家に生まれ、准看護婦、看護婦の仕事をしながら、14年をかけて有朋高校を卒業したこと、この間、結婚、出産もし、乳飲み子を抱えて有朋高校に通ったこと、その後、高校2年で中退した3番目の娘が奇しくも有朋高校単位制に再入学したことなどの体験を語り、「中央区という場所は、どこからでも不便なく通学できます。「思いやりのある」「生徒に優しい」「誰でも学べる」そんな学校があってもいいのではないでしょうか。北海道にたった一つの学校、またいろいろな人たちが学べる学校なのですから、便利なところにあって当然だと思います。何とか移転しないで、「現在地に」「中心部の便利な場所に」有朋を残して欲しい」と、母娘の親子二代の経験を通して訴えた(第5回口頭弁論期日)。
原告渡辺宏は大正生まれの80代であり、戦前・戦後と財閥系の鉱山会社に勤務して、退職後、札幌市で年金生活を送り、1997年から2002年までの5年間、有朋高校通信制に通った。「同級生で一緒に学んで卒業した少女に近いと思っていた女生徒」が投身自殺をした痛切な出来事を語り、「有朋高校通信制の仲間は、それぞれ、親の資力に依存している全日制の高校生とは別種の悩みや生活環境の中にある」と述べ、「知事も教育長も高等教育を両親の助けを借りて地位を登りつめてきた人々である。社会の土台を支えている多くの人々の生活を全く知らない所謂エリート達である。有朋の生徒は違う。家にたとえるなら、基礎となる土台や屋台骨として、これからの社会を支え続ける大切な宝である。何故、彼らは苦闘している有朋の若い人たちに愛情を注ぐことが出来ないのか」と語った。そして、「夜の酒場で酔客に酒を注ぐ、若く美しき可憐な同級生よ(彼女は8年間も頑張って有朋に通学していると聞く)、刀折れ、矢尽きたのか最近では学校にその姿を見せないと聞く。H君よ、学歴でも資格でもない、たとえ10年に及んだとしても、学ぶその課程を乗り越えることが人生に於いて人間として一番大切なことであることを思い出してほしい」と後輩に語りかけ、「願わくば、南14条西12丁目の現在地に新校舎を建てて、私の後輩達が嬉々として通学できるよう、裁判官諸氏の良識に期待しよう」と訴えたのである(第6回口頭弁論期日)。
原告林炳澤は、在日韓国人として、有朋高校が在日韓国・朝鮮人の高卒資格取得の役割を果たしており、「有朋高校は目本政府が本来なすべき外国人教育行政の欠陥を補正する役割を担って」いると述べ、有朋高校の季実の里団地への移転は、「有朋高校で学ぶ人々の存在がその意思が全く無視されているということ」であり、「それゆえに有朋高校が独自の役割を持った学校であることに注意がいかず、それを支えるべき立地条件に配慮ができず、道庁−教育行政のご都合主義的な有朋高校の季実の里移転となってしまった」と主張している(第8回口頭弁論期日)。
また、平成16年3月に有朋高校を定年退職した元教師である原告岩本裕一は、「10年間教員として勤務した経験から「単位制による定時制」の実態と有朋高校の持っている学ぶ生徒にとっての優位性」を詳しく説明し、生徒も「単位制による定時制」のシステムを「前向きにとらえていること」を紹介している。また、ある保護者の次の意見を伝えている。「(有朋高校の季実の里団地への移転は)通学時間が増大することにより、授業の選択が事実上不可能になり、普通高校のように画一化が起こる。また遠距離の人の通学を不可能にしますし、仕事やアルバイトをしながらのいわゆる苦学生の通う条件が悪化する。金銭的にも交通費が増加します。よって、教育の機会均等が危うくなります。−−−−−−−−今、やっていることは、宅地として売れなかった土地に、自分の都合により、今まで築き上げてきた理念を自ら捨てて、子供に犠牲を強いるということです。虐待であります。目を覚ましてほしいと思います。」(第8回口頭弁論期日)
最後に、元北大文学部哲学科助教授で著述家、翻訳家である原告花崎皋平は、第1に、「さまざまな理由で公教育を順調に享受できない人々は、潜在的にかなりの多数で存在し、これからも増えはしても減ることはないと推量」でき、そういう人々は「あたかも存在しないかのごとく「見えない存在」として扱われ」てきたと述べ、第2に、「経済的困難、身体的困難、精神的困難などをやりくりして、やっと、学習の条件を確保している人は、ちょっとした変化やつまずきがきっかけで、学習の継続が脅かされる」とし、これは、現代の杜会学、倫理学での「受苦可能性」あるいは「受傷可能性」、日常用語で言えば「傷つきやすさ」の間題であると論じる。そして、「ここで「受苦・受傷可能性」を持ち出したのは、有朋高校に学ぶ生徒は、学習機会を維持するために常人より苦労があり、学校の郊外移転によって、場合によっては通学をあきらめなければならない可能性をたぶんに帯びているからである。これまでの生徒の状況だけではなく、これから有朋高校に学ぼうとする将来の生徒のことを考えると、教育の機会均等の原則を実質的に保障する条件として、即ち潜在的に「傷つきやすい」人々に学習チャンスを保障するという意味において、公教育機関が条件を劣化させるのではなく、より改善するよう配慮を求めます」と述べている。
この主張は、有朋高校の季実の里団地への移転問題の核心を、格調高く、的確かつ簡明に述べているものであり、冒頭の原告泉雅人の有朋高校の季実の里団地への移転は未来の生徒の学ぶ権利(学習権)を奪うものであるとの主張とも相呼応している。
(7)裁量権の逸脱濫用の判断の不存在
残念ながら原告らの意見陳述は原判決に全く反映されていない。結論のことを言っているのではない。前述のとおり、認定事実中に、有朋高校の役割等に関する記述が、全くない事を述べているのである。原判決は、有朋高校の役割、機能などに理解がなく、関心を示さなかったことが、認定事実に如実に顕れているというべきである。原判決が「争いのない事実」とした有朋高校の役割の記述を見ると、前述のとおり、報告書(甲7)の記述はもちろん、基本計画(乙ロ2)の記述すらも理解しない杜撰な判示である。
原判決は、本件を、公立高校一般の移転問題として裁量権の逸脱濫用の有無の判断をしたものであり、有朋高校の季実の里移転についての裁量権の逸脱濫用の有無については、全く判断していないというべきである。
2、「本件基本計画の策定及び本件移転の裁量性にっいて」(原判決62頁)について
(1)裁量権の逸脱・濫用に関するここでの判示は、有朋高校の移転問題との関係では、全くの誤りである。いや、それ以前に、ここでは、「公立の高等学校の移転」問題が一般的に述べられているだけで、有朋高校の移転問題については、何ら述べられていないといえる。原判決は、その認定事実に有朋高校の役割、機能がないこととちょうどパラレルにここでは有朋高校ではなく「公立の高等学校の移転」一般を論じているのである。原告らの主張と、見事に擦れ違っているといわざるを得ない。
原判決は、原告花崎皋平の意見陳述を借りれば、「受苦・受傷可能性」のある生徒の学習の場としての役割・機能を果たしている有朋高校の季実の里団地への移転の当否という問題に対して、何ら答えていないのである。原判決は、有朋高校の季実の里団地への移転問題を、文字通り通学条件の有利不利という物理的なレベルでしかとらえていない。かかる観点からすれば、有朋高校の移転問題という特別の問題はなく、単なる「公立の高等学校の移転」問題があるにすぎないことになるであろう。
(2)「原判決は、まず、公立の高等学校の移転によって、従来より通学条件の面で相対的に不利益となることをもって、「教育を受ける権利」の侵害と解するならぱ、学校の移転は不可能となるから、そのような見解を採用できないことは明らかである」と、判示している。
しかし、この判示は、本件との関係では全く無意味である。原告らは、「多様な学習要望をもつ者や勤労青少年等に対する高等学校としての機能」「地域に開かれた高等学校としての機能」を有する有朋高校の移転を問題にしているのであって、「公立の高等学校の移転」一般を間題にしているのではないからである。また、「そのような見解」とは、誰の見解のことであろうか。少なくとも原告らの見解ではない。原告らは、従来より通学条件の面で相対的に不利益となるから「教育を受ける権利」の侵害に当たるなどという皮相な主張をしているのではない。
再び、原告花崎皋平の意見陳述の言葉を使わせてもらえば、有朋高校の生徒のように「経済的困難、身体的困難、精神的困難などをやりくりして、」やっと、学習の条件を確保している人は、ちょっとした変化やつまずきがきっかけで、学習の継続が脅かされる」「教育の機会均等の原則を実質的に保障する条件として、即ち潜在的に「傷つきやすい」人々に学習チャンスを保障するという意味において、公教育機関が条件を劣化させ」てはいけないから、有朋高校の季実の里団地への移転は、学習権・通学権の侵害にあたると主張しているのである。
(3)また、原判決は、公立学校の移転は、通学条件のほか、種々の要素を総合考慮した上で行わなければならないから、その判断については、教育委員会等が教育行政上の広範な裁量権を有する旨、判示している。
しかし、この判示も本件との関係では誤りである。本件で問われているのは、有朋高校の移転問題であって、「公立学校の移転」問題が一般的に問われているわけではないからである。そして、有朋高校の移転問題については、報告書(甲7)が先に出されているのであるから、教育委員会等は、これを前提にして移転先を検討しなければならない。報告書(甲7)では、「立地の考え方」が示され、第1に、「交通条件のよい場所であること」が上げられている。この立地の考え方でいう「交通条件のよい場所」というのは、「(有朋高校の)役割や機能を考慮し、その効果を最大限に発揮させるという観点」(報告書6頁)から考えられなければならない。
原判決のように、有朋高校の役割や機能を何ら考慮せずに、これを公立高校の移転一般の問題と同視して広範な裁量権を有すると考えるのは、報告書(甲7)の明文にも反・するものであって、明らかな誤りである。
(4)次に、原判決は、「司法裁判所に於いて、公立高校の移転の当否そのものを審査すること」は許されないとする。
しかし、有朋高校の移転先が報告書(甲7)が示した「立地の考え方」に反するときは、裁量権の逸脱・濫用に当たるというべきであるし、その意味では「移転の当否そのもの」が審査の対象になるものである。「(有朋高校の)役割や機能を考慮し、その効果を最大限に発揮させるという観点」(報告書6頁)から問題がある場合は、「移転の当否そのもの」が裁量権の逸脱・濫用との評価を受けるといわなければならない。移転先が札幌市以外の場合は、報告書(甲7)の明文に反することになるし、本件の季実の里団地のように、形式上、札幌市内であっても、有朋高校の役割や機能を発揮できない遠隔地である場合も同様である。
原判決のように、「司法裁判所に於いて、公立高校の移転の当否そのものを審査すること」は許されないと決め付ける根拠は全くない。
(5)そして原判決は、裁量権の逸脱・濫用になりうるのは、「教育行政上の目的から完全に離れて他事考慮によって移転地を決定したり、その決定が特定の子ども・保護者に著しく過重な負担を課し、特定人の教育を受ける権利を侵害したとみられるとき」であるとする。上記の各場合が裁量権の逸脱・濫用に当たるのは当然としても、裁量権の逸脱・濫用がこれに限定されるものではない。本件のように、まさに「(有朋高校の)役割や機能を考慮し、その効果を最大限に発揮させるという観点」(報告書6頁)に反する季実の里団地への移転は、裁量権の逸脱・濫用に当たるというべきである。
(6)また、行政庁の判断過程が合理性を欠く場合,すなわち,本来考慮すべきでない事項を考慮し、又は考慮すべき事項を考慮しない場合(これらを総合して「他事考慮」という。)には,当該裁量行為が裁量権の逸脱・濫用によって違法となる(最高裁判所第二小法廷平成8年3月8日判決民集50巻3号469頁も同様の判断を行っている)。
本件では,有朋高校の移転にあたり,北海道住宅供給公杜が保有する売却困難な土地の処分を実現するという,本来考慮すべきでない事項を考慮しているだけでなく,「(有朋高校の)役割や機能を考慮し、その効果を最大限に発揮させるという観点」(報告書6頁)を実現すべく,本来考慮すべき事項である「交通の利便性」に対する考慮を行っていないのであるから,有朋高校の季実の里団地への移転決定に至る判断過程には合理性が無く,まさに他事考慮の結果と言わざるを得ないものであって,裁量権の逸脱・濫用というべきである。
3、「本件基本計画の策定及び本件移転の目的について」(原判決62頁)について
(1)原判決は,「有朋高校の移転地を「季実の里団地」とすることにつき,同財政課が関与し,その同時期には北海道として道公杜の資産処分が進められ,また,侯補地として「季実の里団地」がある旨の本件事務連絡が存在することを考慮しても、本件基本計画の策定及び本件移転の目的は,なお教育行政上の観点から有朋高校を移転することを目的としたものと認めるのに妨げはないというべきである」として,裁量権の逸脱濫用はない旨判示している(原判決63頁)。 その根拠として,原判決は,有朋高校の改築が必要となっていたこと,現地における改築が困難であり,移転が必要であったこと,当初の移転侯補地には地方交付税等の間題があったこと,他に適切な移転侯補地がなかったこと,道教委が立地条件を検討して,有朋高校の移転地として支障はないと判断し,移転地に決定したこと等の諸事情が存在することを指摘する。
上記判断は,原判決が定立した,「教育行政上の目的から完全に離れて他事考慮によって移転地を決定した」という規範から導かれるものなのであろう。
しかしながら、前述のとおり,教育行政上の目的から「完全に」離れた場合以外であっても,裁量権の逸脱濫用は十分考えられる。他事考慮とは,本来考慮すべきでない事情を考慮した場合だけでなく,本来考慮すべき事情を考慮しないことも含むのである。教育行政上の目的から完全に離れた場合は当然であるが,本来考慮すべきでない事情を考慮すること自体や,本来考慮すべきことを考慮しないこと自体が,裁量判断の合理性を失わせ,当該裁量判断が裁量権の逸脱濫用として違法となるのである。
以上からすれば,教育行政上の観点から移転決定がなされたか否かによって、裁量権の逸脱濫用の有無を判断することが誤りであることは明白である。あくまでも,「他事考慮」の有無によって裁量権の逸脱濫用の有無を判断すべきである。
(2)原判決が列挙する諸事情のうち,有朋高校の改築が必要となっていたことや,現地における改築が困難であり移転が必要であったこと,当初の移転侯補地には地方交付税等の間題があったこと,他に適切な移転候補地がなかったこと等については,移転決定の背景事情であり,それ以上の意味をもたない。したがって,これらの事情が存在することは裁量権の逸脱濫用の有無の判断に何らの影響を与えない。
本件の問題は,原判決が指摘する,「道教委は,財政課から情報提供された「季実の里団地」について検討委員会が提示した立地条件を検討して,有朋高校の移転地として支障はないと判断した」点なのである。控訴人らは,上記道教委の判断において,本来考慮すべきではない道公杜の問題を考慮し、さらには本来考慮すべき交通の利便性等,有朋高校の特色に配慮した立地条件の検討が行われていないこ'とをもって,裁量権の逸脱濫用がある旨指摘している。
以上のとおり,原審判決は,他事考慮に基づく裁量権の逸脱濫用に関する判断に誤りがある。
4、「本件基本計画及び本件移転の内容について」(原判決63頁〜)について
(1)原判決が交通の利便性等の個別的問題に矮小して評価判断したことの誤りについて
@原判決は、交通の利便性、建設敷地の分断などについて、極めて淡々と、個別的に判断を行っている。
しかし・本件における裁量権の逸脱濫用の本質は、有朋高校の移転先が教育的な議論・配慮に基づくことなく、北海道住宅供給公社の売却困難な土地処分という道の喫緊の課題を最優先し、極めて短期間に、最も利害関係を有する生徒・教職員や保護者、地域住民に対する一切の説明・情報提供もなく、まったく議論を経ないままに決定されたとの事実にある。
A道内唯一の道立通信制単位制高校の移転先について、平成13年11月から12月には共進会場隣接地と決定した上で予算要求していたにも拘らず、突然「季実の里」へ変更となった、という移転決定のあり方自体、稀有なことである。
原判決は、この点につき、共進会場隣接地の問題が解消しなかったため、いわゆる事務連絡がなされた(原判決53頁)という事実経過を認定しているが、看過しがたい事実誤認である。
既に、平成12年12月時点で、総務省は、「主たる目的が防災から教育に変るため、基本的に繰上償還、交付税停止措置となる」との問題点を指摘していたが、北海道教育委員会は、上記総務省見解を受け、さらに〔財政企画係〕の「学校施設に防災機能を備えることにより減免措置の可能性もある」「総務省との再協議に当たっては具体的な整備内容などが明らかになっていることが必要である」との見解をふまえ、基本計画(案)(甲79の3)では有朋高校の機能に「防災対策施設としての機能」を含め、また、「体育館の暖房やシャワー施設を整備するなど、非常災害時において避難住民が一定期間の避難生活を維持するために必要な施設等を整備する」(同6頁)として具体的な整備内容を示したうえで、共進会場隣接地に関する予算要求を行っていたのである(甲79の2)。つまり、原判決が判示した問題点は、共進会場隣接地の予算要求から遡ること約1年前には判明しており、それを踏まえて、平成13年11月以前の段階で、一度は共進会場隣接地に決定する旨の判断がなされ、予算要求まで行われていたのである。
ところが、この流れが突然平成14年に入って大きく変更された事実経遇について、原判決は、敢えて一切判断していない。この点はまさに判断の脱漏に他ならない。住宅供給公社の売却困難な保有地処分という切迫した課題解消のために移転先が変更されたとの経過を全面に出すと、本件計画が、主に住宅供給公社問題の救済策として決定され、生徒の学習権や道内唯一の有朋高校の機能存続という観点は・決定過程までの間殆ど配慮されていなかった実態を明らかにすることとなると同時に、突然の変更が、総務部からの『トップダウン』で敢行されたことをも判断せざるを得なくなり、本移転決定の違法性が明白になるため、そのことには一切立ち入らない判断内容となっている。
『はじめに公社問題ありき』という決定過程は、生徒らにとって教育を受ける権利、学習権の侵害そのものである。その問題を抜きに、個別の問題を、個別に判断することは、事実認定としても法的評価としても誤っている。
Bインターネット上で入手可能な他の自治体での単位制・定時制高校等の資料によっても、鳥取県では、県教育委員会が、今後の自治体内での定時制高校の機能、場所的、内容的な必要性、課題について、丁寧に議論した上で、結論を出している(甲87)。
有朋高校の本移転決定のあり方との差は顕著である。
すなわち、北海道教育庁は、季実の里団地の移転用地としての適否を何ら検討せぬまま、基本計画(甲8、季実の里団地案)の内容を、当初の共進会場隣接地と決定した予算要求添付の基本計画(案)(甲79の3、共進会場隣接地案)から、「防災対策施設としての機能」の部分を概ね削除しただけの内容で、季実の里移転の予算要求に変更した。
甲8及び甲79の3の「W移転用地」の欄で共通に指摘されていた「生徒の通学にかかる交通の利便性」に照らせば、地下鉄「福住駅」から徒歩で通える共進会場隣接地と季実の里とでは決定的な差があり、季実の里移転によって著しい不利益が生じるにも拘わらず、その点を配慮していないことは、原審で証言した横山健彦証人自ら、乙ロ23号証の3が実際に当該路線に乗車して時間を計測したものではないこと(横山証人調書7頁13行目から22行目)、交通の便の改善についてもバス会杜から確約を得ていなかったこと(横山証人調書15頁9行目)からも明白である。
年末年始をはさんだ約2週間で移転用地が季実の里に変更されたのは、道総務部と教育庁の「卓上」においてであった。であるからこそ、最も重視されるべき生徒らの利益のみならず、生徒、教職員らへの事前の情報提供・説明も、意見表明の機会保障も一切無視されたまま、移転決定が敢行されたのである。
C 以上のとおり、原判決は、移転先の問題点について、個別的にのみ判断し、移転先変更の経過をも含めて総合的に判断することを意図的に回避しており、この点に判断の脱漏、事実認定並びに法的評価の重大な誤りがあるため、破棄されるべきである。
(2)時間的な問題、費用的な間題が、生徒らにどのような影響を及ぼすかに関する原判決の認定には重大な事実誤認があること
@ 原判決は、通学時聞について、移転により平均して約14分増えるが、「混雑するとしても、通学が困難になるとまでは認められない」、また、通学費については、1ヶ月の定期代が平均1万5909円で3618円増える計算になるとしつつ、「多少増額されるものの、その負担が著しく重くなるとは言えない」と判示する(原判決64頁)。
これらの判断は、有朋高校が道内唯一の単位制通信制高校として機能してきた実態を踏まえたものとは到底認めがたく、事実認定において重大な誤りを犯している。
A他の都府県の単位制高校が、市の中心部から通学時間30分圏内を目途として設置されている状況にある(甲80)のは、単位制定時制高校の普通高校とは著しく異なる性格・機能に鑑みたものである。
考える会作成の単位制生徒の通学時間資料によれば、単位制581名中、45分から1時間かかる生徒が279名、1時間以上かかる生徒が88名となる(甲45)。さらに、道教委作成のシミュレーションでは、札幌市の7地点から季実の里団地までの所要時間は平均1時間17分とされる(乙ロ23の2)。
なお、先に引用した甲87によると、鳥取県では県教育委員会が通学時間等についても議論を行なっている。
B 上記のような移転に伴う時間的負担に加え、移転による通学費が平均で年間約4万3500円以上の増額になるとの状況は、アルバイト等をしながら通学する生徒にとって、著しい経済的負担である。
今年度の有朋高校の募集資料によれぱ、入学金2100円、単位制授業料1単位あたり1690円である。
宮城県の貞山高等学校は、有朋高校と同様に単位制による定時制課程を持っ高等学校であるが、入学金は有朋高校同様2100円、年間授業料は31200円とされている(甲88)。
このように学費等の実態に照らしても、定期代の増額部分が平均して年間約4万3500円以上というのは、生徒・保護者への負担増が顕著であることは自明であろう。
C さらに、有朋高校の生徒の中には、肉体的にも精神的にも高校に通い続けることが「ぎりぎり一杯」である生徒が少なくない。
冒頭にも引用したとおり、原告橋場忠子(札幌市中央区在住)は、自らが移転後は通学し得なかったであろう状況を語るとともに、「体の弱い生徒たち」「安定剤等の薬を飲みながらようやく通学していた同級生」「抗がん剤治療を受けながら通学していた生徒」などの実態に目を向けない移転決定のあり方の問題を強く訴えた。
D このような有朋高校に通う生徒たちの実情について、控訴審においては、是非とも丁寧に審理していただきたい。
原判決が、「通学が困難となるとまでは認められない」「負担が薯しく重くなるとは言えない」と認定したのは、単位制高校における通学の便の重要性や経済的負担の大きさを十分踏まえたものとは認めがたい上、他の点の判断も含めて、裁量権の逸脱濫用の範囲を不当に限定的にとらえており、明らかに判断を誤った違法がある。
(3)原判決の移転先敷地の形状に関する判断の誤りについて
@原判決は、移転先敷地が「一体用地として」利用可能というのは絶対条件ではない、グラウンドの利用に支障を来たさない旨判示しているが、この点も看過しがたい事実誤認である。
A道総務部長の「事務連絡」により、共進会場隣接地から突然季実の里への移転案へと変更される段階で、住宅用地から学校用地への用途変更に伴う道路位置の変更ないし道路廃止は、特に教育委員会側からは不可欠の前提であった(甲21)。
ところが、道路位置の変更ないし道路廃止が不可能となって以後も、移転案が見直されることは無いばかりか、重大な利害関係を持つ生徒・保護者・教職員らには、一切の情報が開示されていなかった。
このような状況のもとで、季実の里移転決定により、道は新たにスカイウエイ(空中歩道)及びエレベーター付きの横断歩道橋(ブリッジ)を建設する必要に迫られ、建築費用およそ1億5000万円以上、橋梁予備設計の業務委託料の業務委託料金315万円、地盤調査のための業務委託料金959万7000円及び杭打ち工事費金8,000万円が、それぞれ加算される事態を招いたのである。
B 従って、この点も、移転先敷地の形状だけを取り出し、個別に評価するばかりでなく、上述したような、本移転決定過程における看過しがたい重大な違法と照らし合わせたうえで、総合的に評価すべき問題である。教育委員会側では、移転先を季実の里に変更決定するにあたり、敷地が「一体用地」となることを求めていたにも拘らず、総務部からの「上からの決定」により、道路位置の変更ないし道路廃止が不可能となっても、季実の里移転自体は覆せなかったというのが本決定の実態である。
そのことを抜きにして、「一体用地が絶対条件であったか否か」という形でこの問題を非常に限定して捉えて(このような原判決の認定手法は、問題をすり替えていると言わざるを得ない)、その点のみを判断した原判決には、重大な誤りがある。
(4)「(身体的事情のある生徒につき)現在地でも公共交通機関を利用する生徒がいること、公共交通機関の利用が困難な生徒については個別に対応すべき問題」と判断した原判決の重大な事実誤認・評価の誤り。
@ 原判決の上記認定は、本移転決定の本質を敢えて無視し、問題を移転決定から「逸らす」ものであり、著しい事実誤認、評価の誤りが存する。
A すなわち、原判決が述べる「現在地でも公共交通機関を利用する生徒がいる」ことは、控訴人らも何ら否定するものではない。しかし、本移転決定の問題を、「公共交通機関の利用が困難な生徒については個別に対応すべき問題」とのみ捉えることは、有朋高校の移転先という生徒全体に重大な利害、影響をもたらす事項について、「個別に対応すべき問題」と言うに等しい乱暴な認定と言わざるを得ない。
B 控訴人らが繰り返し主張・立証してきたのは、有朋高校の機能、役割、生徒の置かれている状況に照らして、移転先の決定に際しては、生徒ら、教職員、周辺住民に著しい不利益を与えないことが教育目的に鑑みても不可欠の前提であること、そのためにも、生徒ら移転に最も利害関係を有し、不利益を被るおそれがある当事者に正確な情報を伝え、その意見を反映したうえで、移転決定がなされるべきであったにも拘わらず、このような手順が、内容的にも手続き的にも取られなかった、との点であった。
つまり、繰り返しになるが、本件移転決定における問題は、実態面における上記の様々な不利益と同時に、有朋高校の生徒や教職員という移転に最も利害関係を有する当事者に対し、季実の里移転について一切情報が伝えられず、何らの説明もなされず、従って、当事者の意向が一つも反映されないまま移転決定がなされたということ、そして、季実の里への移転という決定が、道が抱え込んでいた土地供給公社の売却困難な土地処分という喫緊の課題実現への動きから、突然浮上し、決定されていったという点における裁量権の著しい逸脱濫用にある。
C公共交通機関を利用しづらい生徒への配慮・対応は、移転の有無とは無関係に、学校として本来的に対応すべき課題であり、本移転に伴う問題ではないにも拘わらず、原判決は、敢えて(としか解されない)この点を「問題」として抽出し、判断しているのである。
Dこのような原判決の認定は、控訴人が主張・立証して来た本移転決定の経過・内容とは離れた、的外れな争点を掲げて判断しているもので、移転の本質について判断を脱落させ、かつまた、事実認定・評価についても著しい誤りがあるため、破棄されるべきである。
5、「本件基本計画の策定及び本件移転の手続的違法性」(原判決67頁〜)について
(1)「憲法31条違反の主張について」
原判決は,一般論として,憲法31条の規定する法的手続の保障が行政手続に及ぶ余地があることを認めつつ,「行政処分により制限を受ける権利の内容,性質,制限の程度,行政処分により目的を達成しようとする公益の内容,程度,緊急性等を総合考慮して決定されるべき」との基準を示したうえで,本件基本計画の策定は,その内容を実現するには,その後の各行政行為が必要とされるのであって,それ自体により有朋高校の移転を決定するものではないから,有朋高校の生徒に不利益な処分を与えるものとは解されないとし,憲法31条には違反していないと結論づけている。
しかしながら,原判決の上記判示は,本件基本計画が生徒らに及ぼす不利益や学習権侵害の実態を全く看過したものといわざるを得ない。
有朋高校に与えられた役割や特色に鑑みれぱ,有朋高校が季実の里団地に移転された場合には,北海道でただ一つの通信制過程の高校として、多様な学習要望をもつ者や勤労青少年等に対して高等学校教育の機会を提供するという目的や機能を代替しうる教育の場は存在しないことから,一部の極限られた生徒を除いて,大部分の生徒の学習権や父母の教育要求権,教師の教育権が将来にわたり回復不能の状況に至ることは想像に難くない。しかも,本件移転決定は,現在及び将来にわたって多数の生徒の学習権を奪うことにとどまらず,必然的に,それらの生徒が一市民として,成長,発達し,自己の人格形成を実現することをも阻害するという.深刻な結果を招来することになるのであって,制限の程度は極めて甚大である。
一方,有朋高校の移転により生ずる様々な弊害に比して,本件移転決定によってもたらされる利益は何ら見出せないばかりか,むしろ,有朋高校の特色である,諸事情により,毎日高校に通うことのできない生徒や他の高校に通学できない子供に教育の機会を与える,あるいは,地域杜会の学習需要に対応する生涯学習機関という公益的意義・目的が完全に失われてしまう結果となる。
また,現代行政は,しばしば計画によってその方向性が与えられることは広く知られているが,計画とそれを受けて行われる事業との間には時間的隔たりが存在することが少なくなく,また,計画の違法性が事業の段階まで承継されると考えることが困難な場合もあることから,広く計画決定自体を行政処分として提えるべきであり,本件基本計画はまさに司法審査の対象とすべき典型的な行政計画といえる。ところが,原判決は,有朋高校に内在する上記の特殊性やそこに通学する生徒らが抱える諸事情に目を背けて,本件基本計画それ自体が有朋高校の生徒に不利益な処分を与えるものとは解されないとの形式的論理を用いて適正手続の保障を不要としていることは,もはや司法の職責放棄ともいえる致命的な誤りというほかない。
(2)地教行法違反について−−−−−判断の脱漏、理由不備
@ 地教行法違反にあたらないとする原判決の判断は、極めて形式的なものであり、また、原告の主張に対する判断が一部脱落している。
A 教育長への委任の可否
(あ)原告は、本件基本計画の策定は、委任規則第2条4号、6号、14号、34号所定の委任できない事項にあたるから、道教委が基本計画の策定を教育長へ委任したことは違法である旨、主張した。
(い)原判決は、委任規則第2条4号「教育委員会の所管に属する教育機関(以下「所管機関」という)の設置、廃止、移管に属すること」につき、「有朋高校の移転は、設置者の変更を伴わずにその所在地を変更するものにすぎないから、同号所定の教育機関の設置、廃止、移管」には当たらない」(原判決44頁)と判断した。
これは極めて形式的な判断である。教育長への委任を認めない委任規則第2条の趣旨は、教育機関に関する重要事項の決定を教育委員会に留保し、もって、教育の民主的統制をはかろうとする点にあるから、第2条4号の「設置」「廃止」の趣旨も、形式的にではなく実質的合目的的に解されなければならない。
季実の里団地への移転後の有朋高校が、単位制通信制というシステムを維持したとしても、通学の困難性は、新たな「有朋高校」から「多様な学習要望をもつ者や勤労青少年等に対する高等学校としての機能」と「地域に開かれた高等学校としての機能」を失わせ、一般の普通高校化していく蓋然性が高い。その意味で、移転は、物理的にも機能的にも、実質上、現在の有朋高校の「廃止」と有朋高校という名称を付した「季実の里」での新たな高校の「設置」というべきものであるから、かかる重要事項は教育長へ委任できない事項と解すべきである。そうでなければ、教育委員会の存在理由が失われるものである。
鳥取県では県教育委員会において「西部地区新高校(定時・通信制)の充実方策について」協議されている(甲87)。極めて当然のことであって、教育長への委任事項であるとして道教委での審議・決定がなされなかったことが普通ではないというべきである。
(う)また、原判決は、本件基本許画の策定は「「季実の里団地」を有朋高校の移転用地とする「計画」の策定にすぎない」から、6号、14号、34号の各除外事由に当たらないことは明らかである旨、判断した(原判決、44頁)。
しかし、「「計画」の策定にすぎない」から6号、14号に「当たらないことは明らかである」とは、いえない。
6号、14号の文言は、6号は「所管機関の用に供する財産及び知事から委任を受けた事務に関する公有財産の管理の基本的事項に関すること」、14号は「道立学校の教育課程編成基準に関すること」である。計画も「−−に関すること」には違いないから、文言上は、「計画」でも当たり得るのであり、あたらないことが明らかであるとする原判決には、その理由が説明されていない。
道教委も、原判決のような主張をしていない。道教委は、6号の「管理の基本的事項」は「教育全般にわたつての基本的、大綱的事項」であつて、「個別の学校の改築等の案件にかかる事項」ではなく、14号の「教育課程編成基準」は「校長の教育編成及び実施に当たっての基準」であるから、有朋高校の移転はいずれにも該当しないと主張しているのである(原判決、15頁)。
(え) 6号の「管理の基本的事項」とは、「教育全般(正確には教育財産等の管理全般と主張している)にわたっての基本的、大綱的事項」であって、「個別の学校の改築等の案件にかかる事項」ではないと解すべき理由はなく、有朋高校の季実の里団地への移転は、「(財産)の管理の基本的事項」に当ると解されるものである。
札幌市教育委員会事務委任等規則(甲55)では、「学校その他の教育機関の敷地の設定及び変更に関すること」(同条7号)、「学校その他の教育施設の新築、増築及び改築に関すること」(同条8号)が、帯広市教育委員会事務委任等規則(甲56)では、「教育機関の敷地の設定に関すること」(同規則2条4号)が、釧路市教育委員会の職務権限に属する事務の一部を教育長に委任する規則(甲57)では、「学校その他の教育機関の用地の設定、建設又は変更を決定すること」(同規則1条6号)および「教育財産の取得及び処分を決定すること」(同規則1条13号)が、教育長への委任事項から除外されている。
これらの委任規則と対比すると、有朋高校の季実の里団地への移転は、まさに教育機関の敷地の設定、変更、教育機関の新築、増改築であるから、「管理の基本的事項」に含まれると解されなけれぱならない。
なお、釧路市教委、帯広市教委の規則は、財産の管理に関することが委任の除外事項として明記されておらず、教育機関の用地の設定、変更などが特定されて除外事項にされている。これは、釧路市教委、帯広市教委では、まさに「教育財産の管理」の内、基本的事項として「用地の設定、変更」などを特定して明示したと解されるところである。
(お) また、有朋高校の「季実の里」への移転それ自体は、もちろん教育課程の編成そのものではないが、将来、有朋高校の教育課程の変更をもたらす蓋然性が高いのであるから(原告準備書面(5)13頁)、移転が教育課程の再編に密接に関わるという意味で、14号に該当すると解されるべきである。
(か) 34号の「教育予算その他議会の議決を経るべき事件の議案についての意見の申し出」に関しては、道教委は、本件基本計画は、計画であって「議案」ではない旨、主張し(原判決、15頁)、原判決はこの主張に従った。しかし、本件基本計画自体は、もとより「議案」ではないが、有朋高校の「季実の里」への移転は、後に「教育予算その他議会の議決を経るべき事件の議案」になるのであるから、本件基本計画をして議案についての「意見の申し出」に当たると解することはむしろ自然である。
(き) 以上のとおり、有朋高校の「季実の里」移転決定は、委任規則2条4号、6号、14号、34号により、教育長に委任できず、地教行法第23条に基づく道教委の権限である。ところが、有朋高校の移転決定は、道教委ではなく教育長決裁によりなされたという手続上の過誤がある。
B「重要又は異例の事態」の発生
また、仮に、教育長へ委任できると解したとしても、委在規則5条1項で、「教育長は、第2条の規定により委任を受けた事務に関し、重要又は異例の事態が生じたときは、教育委員会の指示を仰がなけれぱならない」と規定されている。原告は、有朋高校の移転については、「重要または異例の事態」が生じたにも拘らず、教育長は教育委員会の指示を仰いでいないという委任規則違反があると主張したが(原告準備書面(8))、原判決は、この主張を事実整理から脱落させ、従って、判断もしていない。判断の脱漏である。
(3)関係者の理解を得るための措置について
原判決は,有朋高校に移転について,検討委員会の報告書を基にして,道教委が本件基本計画を作成し,その実施にあたっては,説明会を実施したり,各団体と話合いの場を設けるなどして,その理解を得るための措置を採っていたとして,手続に違法がないとしている。
しかしながら,本件基本計画が,検討委員会の報告書が示した基本指針である3条件を無視したものであり,また,その後の説明会や各団体との話合いが単なる事後的なアリバイ作りに過ぎなかったことは,本件審理に現れた証言や証拠などで明らかとなっているが,あえて再論すれば以下のとおりである。
そもそも,有朋高校の移転間題は,現校舎の狭隘化が顕著となり,加えて,敷地面積が現行の高等学校の基準を大きく下回っているなど,生徒や教職員の学習・教育環境の整備が緊急の課題として浮上したことが契機となつている。そこで,平成9年に学識経験者や関係者によって構成される「定時制・通信制教育推進検討委員会」が設置され,有朋高校について,北海道の定時制通信制教育の充実・発展をめざした中心的役割を担う高等学校としての在り方について5回にわたり審議がなされ,同年12月には,検討委員会の報告書がとりまとめられた(甲7)。同報告書では,有朋高校の基本的な機能として,多様な学習要望をもつ者や勤労青少年等に対する高等学校としての機能,及び,地域に開かれた高等学校としての機能が提唱されるとともに,有朋高校の立地の考え方としては,その役割や機能を効果的に発揮するために,@交通条件の良い場所であること,A必要な敷地面積が確保できる場所であること,B周辺が学校施設にふさわしい環境であること,の3点に留意して立地場所を選定することが明記されており,この時点において上記3条件が有朋高校の移転計画の墓本指針となったのである。すなわち,有朋高校の移転の本来の目的は,そこに集う生徒や教職員の学習・教育環境を整備することにあることから,検討委員会の審理過程においても,そうした関係者の意見や要望が反映されるような適正手続が保障されていたといえる。
その後,上記報告書を受けて,北海道教育庁(高校教育課)が中心となって有朋高校の立地場所について選定作業が進められ,平成13年末頃には有朋高校の移転侯補地として札幌市豊平区所在の「産業共進会場」隣接地とする予算要求がなされたが,その直後,北海道住宅供給公杜の保有地である「季実の里団地」が突如として移転先として浮上してきた。ところが,この情報は,有朋高校の学校長に意見聴取がなされたにとどまり,有朋高校の教職員,生徒,父母,地域住民など関係者当事者には全く知らされないまま選定作業は秘密裏に進められていった。
平成14年2月になり,有朋高校の移転先として「季実の里団地」が最有力候補とする方針が固まったとの新聞報道がなされ(甲51),はじめて生徒や教職員らに知られることとなった。その後も関係当事者への説明や意見聴取がないままに,同年4月には財政課への報告を経て,同年6月には高校教育課により移転計画の起案が行われ(甲9),同年7月,北海道教育委員会を作成者とする「有朋高校等学校校舎改築整備にかかる基本計画」(甲8)が公表されるに至ったが,この間,僅か半年に過ぎない。しかも,その内容は,検討委員会が示した基本指針である「交通の利便性」の条件を全く無視したものであり,季実の里は検討委員会の審議の中でも一度も取り挙げられていなかった侯補地であった。
本件基本計画は,当初より有朋高校移転問題に主体的に関わってきた教職員,生徒,父母,関係者らにとっては,民意の反映である前記基本指針に違背する予想外の移転用地であった。そこで,関係者当事者によって構成される「有朋高校移転問題を考える会」により,すぐさま「季実の里団地」への移転に反対し,現在地での改築を要望する旨の意見表明がなされ(甲16),さらに,平成15年7月には,北海道議会議長宛に北海道有朋高校等学校「移転計画」の凍結を求める請願がなされたが,本件基本計画が既に教育長決裁を経ているとの理由により,本件移転決定の見直しがなされることはなかった。
以上のとおり,本件基本計画は,有識者で構成される検討委員会の基本指針が全く反映されていないばかりか、その選定過程において,直接影響を受ける教職員,生徒,父母、地域住民などの関係者当事者に対する意見聴取の機会が全く付与されず,また,住民参加的自治の表れである道教委における議決も経ないまま,教育長の決裁によって断行されたものであることは紛れもない事実である。
本件基本計画の策定にあたっては,権利利益を有する国民に対して,「告知と聴聞」の機会等の手続保障を付与することが憲法上要請され,また,行政手続に関する一般法である行政手続法1条が規定する,「行政運営における公正の確保と透明性(行政上の意思決定について,その内容及び過程が国民にとって明らかであることをいう。)の向上を図り,もって国民の権利利益の保護に資することを目的とする」という趣旨に照らしても,こうした事前手続を経ないままに定められた本件基本計画には,デュープロセス(手続の適正化)の観点から重大かつ明白な違法があるといわなければならない。
第4「原告らの主張のその余の争点について」(原判決68頁〜)について
原判決は、前述のとおり、有朋高校の季実の里団地への移転を「公立の高等学校の移転」間題と同視し、「公立の高等学校の移転によって、従来より通学条件の面で相対的に不利益となることをもって、「教育を受ける権利」の侵害と解するならぱ、学校の移転は不可能となるから、そのような見解を採用できないことは明らかである」と判示したにすぎない。
本件の論点は、有朋高校の季実の里団地への移転が、有朋高校の通信制・単位制定時制システムによって学習の機会を得ている現在及び将来の生徒の教育を受ける権利、学習権、通学権を侵害しないかということであるのに、原判決は、この論点について判断していないというべきである。
(1)原判決は、「子どもの権利条約12条2項の意見表明権を直接適用する法的根拠はなく、また、同条約28条、29条の意義を認めるとしても、これらの規定の文言から、直ちに子どもたちへの意見表明権・参加権を保障していると解することは困難である」と判断した。
(2)しかし、子どもの権利条約12条2項、28条、29条はいずれも直接適用される規定である。
@条約の国内的効力について
一般に条約が国内法としての効カを有すると解されることは通説であり、特に国際人権規約B規約については裁判所で直接適用できるものと解されている。
日本政府も1981年規約人権意見会で、「条約は、国内法よりも高い地位を占めるものと解される。このことは、裁判所により条約と低触すると判断されたような国内法は、無効とされるか、改正されなければならないことを意味する・…(中略)裁判所が国内法と条約の間に低触を見出した場含は、条約が優先する」と答弁している。
また、平成12年5月24日広島高等裁判所判決においても、条約が直接適用されることを前提として、その内容に踏み込んだ判断がなされている(訟務月報47巻10号2988頁)
A子どもの権利条約の直接適用について
(あ) 日本は、1994年5月22日、子どもの権利条約を批准した。批准された条約は、非自動執行的条約でない限り国内法的効力を持ち、条約と国内法の効力関係では、憲法が優位に立ち、法律との関係では、条約が優位に立つ(憲法98条2項)。もっとも、優位に立つ条約すべてが直接適用可能なわけではない。「子どもの権利条約の直接適用可能性は、条文の文言・内容の明確性と具体性、条文上の義務の性格、具体的ケースの文脈の中での国連国内法制の状況などを総合的に考慮して、具体的に各条文毎に判断されなければならない」(「子どもの意見表明権と表現の自由に関する一考察」中川明 北大法学論集50巻2号)。
(い) 子どもの意見表明権(子どもの権利条約12条)は、子どもの表現の自由(憲法21条)をさらに具体化したものであるのである。すなわち、条約の市民的自由条項は、既に憲法上保障されている人権をより具体化したものである。
中川明氏も以下のように説明している。
「子どもの意見表明権や表現の自由は、子どもの権利条約によってはじめて認められた権利・自由ではなく、もともと、日本においては、憲法21条や同13条及び教育基本法1条によっても認められていたものである。すなわち、子どもを自律に向かう存在として承認し、権利の自律的行使を認めるという考え方や、子どもの人格にかかわる事項についての決定過程に子どもを参加させるという考え方は、憲法や教育基本法にすでに含有されていたのであり(憲法学の立場からは、佐藤孝治「子どもの人権とは」自由と正義38巻6号9頁。教育法学の立場からは、勝野尚行「子どもの権利条約と学校参加」法律文化社、353頁以下)自律の尊重は、現実の自律にのみ着目するのではなく、自律に向けての過程(自己形成過程)にまで広げて、動的にとらえる必要がある。'子どもは、自律に向けての能力を培う過程にあり、自律を助長促進される必要があるから、国は、子どもの自律の現実化の過程を妨げる障害を除去するだけでなく、自律の過程に必要な条件を積極的に充足することが求められている。子どもの人格にかかわる事項の決定過程に子ども自身を参加させその意見を表明させることは、自律の過程に必要な不可欠の条件として、憲法が保障しているところである。その意味では、子どもの意見表明権は、子どもの権利条約によって確認されたにすぎず、創設されたものではない」(「子どもの意見表明権と表現の自由に関する一考察」中川明北大法学論集50巻2号)。
子どもの権利条約12条は、憲法21条の表現の自由をより、具体化したものであり、子どもの表現の自由を保障するための観点から、捉え直した規定であるといえる。とすれぱ、子どもの権利条約12条が、直接適用できないとする根拠はないはずである。
(う) なお、1998年6月24日の国連子どもの権利委員会最終所見においては、その懸念事項のひとっとして裁判所による本条約の直接適用例の欠如があげられている。すなわち、上記所見は、「本委員会は、子どもの権利条約が国内法に優位し、国内裁判所において援用可能であるにもかかわらず、実際には、裁判所が判決を下すに際して、国際人権条約一般、特に、子どもの権利条約を直接に適用しないことを常としていることに留意し、それを懸念する。」と意見し、さらに、「本委員会は、国内法における本条約の位置に関連して、子どもの権利条約およびその他の人権条約が国内裁判所によって援用された事例に関する詳細な情報を第二回政府報告において提供するよう貴国に勧告する。」とし、条約の直接適用を勧告している。
(え) 以上の理は、条約12条だけではなく、28条、29条にも同様に当てはまるものである。
(3)本件移転決定が同12条(意見表明権)に違反することについて
有朋高校には、18歳未満の学生が多く入学している。したがって、18歳未満の生徒は、同12条にいう「子ども」にあたる。
このような子どもは、自己に影響を及ぼすすべての事項について自由に自己の意見を表明する権利、またあらゆる種類の情報及び考えにつき表現する自由を保障されている。
子どもの通学に影響する有朋高校の移転は、子どもの権利条約12条に規定されている「子どもに影響を及ぼす事項」に該当し、その年齢及び成熟度に従えば、十分な意見表明と参加が保障されるべきである。
ところが、被告らは、有朋高校に通学する子どもたちに対し、有朋高校移転に関する情報提供を行わず、子どもたちの意見を一切聴取せずに、教育長が一方的に決定した。このような、一方的な移転決定のあり方は、生徒の意見表明権及び参加権を侵害し、同条約12条に違反するものである。
(4)本件移転決定が、同28条、29条に違反することについて
@ 子どもの権利条約28条1項は、子どもに教育機関等を利用する機会の保障内容として、教育機関等への通学権等のアクセス権も保障している。また、同条約29条1項に規定されている、子どもの人格等を最大限まで発達させるという教育目的を実現するためには、教育の質と環境が特に重視されなければならない。
そうすると、同条約28条1項に規定されている「教育についての子どもの権利」は、より積極的、主体的、能動的な権利と理解され、子どもたちの教育への意見表明権及び参加権をも保障していると解される。
A 有朋高校の「季実の里団地への移転は、通学の不便をもたらし、子どもたちの学習を著しく困難にし、これまで有朋高校が保障してきた子どもたちが学び続ける権利を奪うものである。さらに、有朋高校の移転による通学の困難さは、子どもたちの学校への定期的な登校を阻害し、中途退学を誘発するものであるから、子どもの権利条約28条(e)の「定期的な登校及び中途退学率の減少を奨励するための措置をとる」との規定に反する。
(5)ところで、原判決は、同28条、29条は、子供たちの教育への意見表明・参加権を保障していると解されないというだけで、本件移転の同28条、29条違反の有無それ自体については判断していない。原告らは、同28条、29条からも意見表明・参加権が導かれると主張する一方、教育についての子どもの権利である28条、29条にも違反している旨主張しているのである(原告ら準傭書面(14))。
この点は、判断の脱漏である。